Monday, 21 January 2008

ドイツ学術交流会の記念誌への投稿

1989年6月-1990年10月までのドイツ滞在に関してご支援をいただいたDAAD ドイツ学術交流会の記念誌へ寄稿した拙文の草稿を、以下に掲載します。(記念誌の最終稿は、編集ご担当の方との協議で変更になる可能性がありますが、講義を取ってくださっている学生の方々にもご覧いただけるよう初稿をここに載せておきます。)

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渡独への熱き思いから20年
         89-90 Braunschweig 工科大学
         東京大学大学院情報理工学系研究科 准教授 古関隆章

1. 留学の経緯
 私がDAADの奨学精度を知りドイツ留学を志したのは1988年博士課程1年生の夏だった。修士課程で吸引式磁気浮上リニア誘導モータによる推進を実現する磁気車輪の研究をした。その成果を1988年初夏にHamburgで開催されたIVA 国際交通見本市と併催されたMaglev '88(磁気浮上システム国際会議)で発表し、初めてヨーロッパ、そしてドイツを訪れる機会を得た。また、当時まだ営業運転されたいなかったICE (Inter City Experimentalと呼ばれていた)の試験車にも乗ることができた。
 ドイツの6月はすばらしい季節、会議で出会ったDornier社の技術者にFriedrichshafen近くのご自宅にお招きいただき、夏のBodenseeの穏やかで美しい夕暮れの風景に魅せられた。IAESTEに応募し、ドイツの企業で実習したいと指導教官の正田英介教授に相談したところ、「そんな中途半端はせずDAADというのがあるからその制度を活用してドイツの大学できちんとした研究をして来い」との御指導で、先生と研究上深い交流のあったBraunschweig工科大学の電気機械・鉄道研究室のH. Weh教授に拙い英文で手紙を書きDAAD申請に際しての御支援を仰いだ。思えば、Weh先生が85年秋に来日し東大で有限要素法のリニアモータ解析への応用について講演したのが、自分が初めて聞いた英文の講義だった。学部の輪講のために初めてまじめに読んだ外国文献もそのWeh先生執筆のものだった。、不思議な縁を感じつつ渡独した。
 一方、通信の発達していない当時、ヨーロッパに一人で渡るのは「地の果てに行く」ような感じでもあった。

2. 磁気浮上・リニア誘導モータの研究と技術動向
 85年9月に学部の卒業研究のため正田先生の研究室に配属して最初にやったのは、東京で開催された磁気浮上システム国際会議の裏方としてのお手伝いだった。研究の基礎となる知識もない中で、多くの外国の専門家(おそらくはその多くがドイツ人だった?)の熱気溢れる討論を直に見、内容はよくわからないが彼らの熱意に大いに刺激を受けた。当時はつくば博覧会で磁気磁気浮上車HSST-03が実際に乗客を輸送する実績を作っていた。国鉄が開発していた超電導磁気浮上も、ML-500も宮崎の実験線で世界最高速の走行試験記録を達成し、乗客用の座席を持つMLU001への展開という、実用化を意識した研究開発が熱心になされていた。電気学会でもリニアドライブ技術委員会を設立すべく準備がなされ、関係者の意気が大いにあがっていた。
 一方西ドイツではTransrapidのEmsland試験線の北側ループ線での高速試験走行実績が蓄積され、南側ループ線を増設しての連続走行試験が視野に入りつつあった。
 今の中国がそうだが、国がどんどん成長しているときには、人々は磁気浮上車のような新しい高速鉄道システムが欲しくなるのだろう。

3. 激動の留学期
 私が「西」ドイツに渡った89年6月には冷戦構造が当然のこととしてそこにあり、その対立の最先端にあって象徴的存在だった西ベルリンの壁に沿って、西側の先端技術を東に誇るかのように、M-Bahnという磁気浮上車が営業運転されていた、。西ドイツにおける磁気浮上技術は、このように政治的に特殊な意味も持っていたかと思う。なお、その後、大ベルリン市の中に位置することとなったM-Bahnはベルリン市の公共交通ネットワークの中で、まさに「浮いた存在となってしまい、他の路線との互換性が高い地下鉄に置き換えられ、ベルリンの壁と共に歴史的存在となった。
 私がドイツGoettingenに渡った1989年6月5日は、天安門事件の日であり、その後、Braunschweigに移り、11/9にテレビを購入して下宿でセットアップし最初に見たニュースは、東独政府が国民の西側への旅行の自由を発表したという衝撃的なものであった。それから90年10月のドイツ統一に至る1年間が歴史的大変化のときであったことはいうまでもない。そんな時期に、東西ドイツの境界に近いBraunschweigで静かな研究生活を送ることができたのは、何物にも替え難い貴重な幸福であったと思っている。

4. 20年を経て....ドイツ学術交流の今日的意義
 ドイツ留学を志し準備に着手して既に20年が経とうとしている。日本では【失われた10年」を経て昨今の経済は好調といわれながらも、目下、政治の混乱、株価の暴落、社会格差の顕在化、とまらぬ少子高齢化、各種偽装問題が報じられ、我が国の将来の明るい展望を語れる人は多くない。
 一方、ドイツはEUをリードする大国として影響力と安定感を増しつつも、アメリカ発のグローバル化の潮流の中で、その固有の良き文化、伝統をどう保持かに悩んでいるように見える。
 ドイツの工科大学で十数年前から言われていた、工学離れ、電気電子工学離れは、今や東京大学を含む日本の主要大学でも顕著になっており、日独ともに、産業の競争力低下、空洞化が懸念されている。ドイツが誇る前述の高速磁気浮上鉄道も、いまだ国内での実用例はなく、昇る竜である中国の上海で活躍している。日本では愛知博後もリニモが都市郊外路線として営業を続けているが、山梨リニアの営業線開通までは、まだ数年の道のりがありそうだ。
 両国とも、その力の源泉たる先進技術が、人々の気持ちの中で「空気のような存在」になっていて、若者にアピールしにくいのかもしれない。しかし、技術を志向する若者にとって、やはりドイツは学ぶのに良いところで、私の研究室からもすでに3名がDAAD奨学生としてドイツの3つの大学で活躍してきた。インターネットの発達、特にwebやSkypeの普及は、本来孤独な海外留学の風景をずいぶん変化させているだろう。したがって、20年前のような高揚感はもはや得られないかもしれないが、普段から影響の強いアメリカと異なる、ある意味で保守的な文化伝統を持つドイツで学ぶことは、日本人としての自分を再発見すると共に、グローバル化の何たるかを第三の視点から実感する良い機会となろう。
 ドイツ語で専門を学ぶことは、用語の定義に始まる基本論理を大切にしつつも、実用性の高い思考方法を培うことになり、日本学徒にとって意義が大きい。同時に、日本の大学人や学術政策に関わる人々は、Goethe Institutやドイツの奨学制度の、文化発信ビジネスモデルとしての優秀さにもっと着目してよいと思う。

----おわり----

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